岡崎城跡に続いての、城跡です。
現在は、天徳寺があります。
岡崎城跡と関係があり、城主の真田与一義忠は、岡崎城主の岡崎四郎義実の嫡子であったそうです。
源頼朝が挙兵した後の石橋山の戦いで、25歳で討ち死にしたと説明されています。
境内には、真田公力石や真田学校跡など、興味深いものが幾つもありました。
しかし、知識不足というか説明不足というか、残念ながら詳しくは分かりませんでした。
地図には、城跡や公廟所も記されていました。
この地域は、大規模な区画整理が行われており、建築中の家も近くにちらほら見られました。
数年後には、また違った姿になっていそうです。
【真田城跡(天徳寺)】
平塚市真田72
平塚市観光協会:http://www.hiratsuka-kankou.com/shiseki/03shiseki/sanada_tentokuji.html