平塚と伊勢原の境、岡崎の地にある城跡です。
岡崎城は、源頼朝の家臣・三浦大介義明の弟である岡崎四郎義実によって、平安時代の末に建てられたそうです。
室町時代に北条早雲によって滅ぼされるまで、この地に存在したとされています。
その後、本丸の跡に建てられたのが、現在もある無量寺です。
敷地内では、伊勢原市による詳しい説明が記されています。
平塚と伊勢原にまたがる岡崎の地ですが、昔は岡崎村として一つだったそうです。
昭和の中頃、大句と馬渡は伊勢原に、その他は平塚と合併しました。
この辺の名前は、現在もバス停などにも残っています。
城跡といっても、それらしい姿はほとんど残っていません。
付近の民家などに残っている石垣は、名残ではないかと思われました。
この辺は、小高い丘になっています。
看板の説明文には「要害厳しかった」とありますが、確かに楽ではなかったであろうと思われます。
【岡崎城跡(無量寺)】
伊勢原市岡崎5410(無量寺)の付近一帯
平塚市観光協会:http://www.hiratsuka-kankou.com/shiseki/03shiseki/okazakijoato.html