真田学校跡の碑

平塚市の西部、天徳寺境内に建てられている碑です。

 

明治初年、大住郡南金目村に、郁文堂という私塾がありました。

1872年(明治5年)、学制が発布され、真田村天徳寺の本堂を校舎にして、足柄県第一大学区第二十九中学区第四十四番小学郁文堂が開校しました。

その後、校舎が新設され、1877年(明治10年)に真田学校と改称されました。

 

1879年(明治12年)10月には真田・矢名・金目の3校に分離し、1886年(明治19年)には3校の高等科が真田学校に併置されました。

1889年(明治22年)の町村制施行により大根村が誕生し、真田・矢名の2校は合併し、尋常大根小学校になりました。

 

真田学校は、平塚市立金目小学校、秦野市立大根小学校、伊勢原市立比々多小学校の源流として、近代日本の黎明期に初等教育機関としての役目を果たしたと案内されています。

 

碑の裏側には、沿革が記されています。

 

水子地蔵尊ともう一つの碑が、並んでいます。

 

もう一つの碑には、「念ずれば 花ひらく」と記されています。

 

【真田学校跡の碑】

平塚市真田1-14-1 天徳寺境内

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