特集の「平塚の謎」に「波打ち際の円形の遺構」を追加しました。
お久しぶりです。猛暑の中のブログ更新、ご苦労様です。 波打ち際のこの遺構は初めて拝見させていただきました。おそらく戦争絡みのものなのでしょうが、今となっては貴重な時代の生き証人ですよね。 このサイト http://www.netlaputa.ne.jp/~nemon/senzyouziki.html にも掲載されていないので、どのようなものだったのか興味深いものです。 そういえば追分の交番の裏に、空襲で焼けた現役の電柱があったのを思い出しました。小学生のときその話を先生から聞いて見に行ったのですが、焼夷弾でかなり炎に炙られたのでしょう、満身創痍の木製の電柱が路地にぽつんと立っていました。 それでもきちんと碍子を付け、電線を支え、夜道を照らす電灯まで付けて現役を誇示してがんばっていたその姿に、子供ながらにとても感動したものです。 あの電柱まだがんばっているのでしょうかね。
それでは。
コメントありがとうございます。
コメントからヒントをいただき、市立博物館に問い合わせるということを行ってみました。 もし回答が得られたら、また記します。
追分の電柱の話、ありがとうございます。 あそこに、そのようなものがあったのですね。 今度近くに行った時に、寄ってみたいと思います。
遺構の件、市立博物館の方もすぐには分からないようでした。 幻を見たのではないか、もう一度確かめたいと考えています。(笑)
電柱は、分かりませんでした。 交番の裏というと、共済病院の敷地内となるでしょうか? 電柱とまでは呼べなさそうな木の細い柱はありましたが、多分これではないだろうと思いました。
あの辺も地味に変化しているので、変わっているかも知れませんね。
たびたび失礼いたします。 相変わらず素早い行動ですねぇ。感服いたします。 電柱の件ですが、私も懐かしさ半分で調べてみましたらまさに灯台下暗し。 平塚市役所のHPに書いてありました。 http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/zukan/sen11-1.htm 私が見に行ったころは、もう少しコールタールでテカテカしていました。
砂浜の遺構もたけこし氏の幻視だったら笑えるのですが、ネットで調べてみると本当にあるみたいです。引き潮だとこんな感じのようです。 http://livedoor.blogimg.jp/turi_tai/imgs/a/4/a46c8cb7.jpg 私は戦時中の高射砲の台座だと思いましたので、これまた調べてみると http://blogs.yahoo.co.jp/kakuchan1964/22082446.html http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/4a/47/kakuchan1964/folder/601127/img_601127_22082446_2?1327216156 になんとなく似ているような気がします。ただ http://www.netlaputa.ne.jp/~nemon/senzyouziki.html の中には記載されていないのでここからは想像ですが、20年7月の平塚空襲のときにまったく役にたたなかった他の高射砲に代わり、粗悪な海砂利入りのコンクリで急遽 製作が決定、台座までは完成したもののそのまま終戦となりすっかり放置された、 なんて妄想が思い浮かぶのですが、どうでしょうか?
電柱の件、実物はなくなってしまったものの、情報としては残されていた訳ですね。 よかったです。 しかし、この姿のままずっと活躍していた(残されていた)というのも凄いですね。
砂浜の遺構の件、お調べありがとうございます。 高射砲の遺産というのが、やはり可能性としては高いでしょうか。 南から迫る飛行機を狙うため、市内南端に設置しようとしたということですね。
一つ気になるのは、砂浜に設置という点です。 標高は低く、足場を安定させるのはやや面倒な位置ではないかと思います。 本土決戦に備えて、飛行機ならぬ船に備える設備を作ろうとしたのかとも考えたりしましたが、本当に何でしょうね。
コメントは停止中です。
お久しぶりです。猛暑の中のブログ更新、ご苦労様です。
波打ち際のこの遺構は初めて拝見させていただきました。おそらく戦争絡みのものなのでしょうが、今となっては貴重な時代の生き証人ですよね。
このサイト
http://www.netlaputa.ne.jp/~nemon/senzyouziki.html
にも掲載されていないので、どのようなものだったのか興味深いものです。
そういえば追分の交番の裏に、空襲で焼けた現役の電柱があったのを思い出しました。小学生のときその話を先生から聞いて見に行ったのですが、焼夷弾でかなり炎に炙られたのでしょう、満身創痍の木製の電柱が路地にぽつんと立っていました。
それでもきちんと碍子を付け、電線を支え、夜道を照らす電灯まで付けて現役を誇示してがんばっていたその姿に、子供ながらにとても感動したものです。
あの電柱まだがんばっているのでしょうかね。
それでは。
コメントありがとうございます。
コメントからヒントをいただき、市立博物館に問い合わせるということを行ってみました。
もし回答が得られたら、また記します。
追分の電柱の話、ありがとうございます。
あそこに、そのようなものがあったのですね。
今度近くに行った時に、寄ってみたいと思います。
遺構の件、市立博物館の方もすぐには分からないようでした。
幻を見たのではないか、もう一度確かめたいと考えています。(笑)
電柱は、分かりませんでした。
交番の裏というと、共済病院の敷地内となるでしょうか?
電柱とまでは呼べなさそうな木の細い柱はありましたが、多分これではないだろうと思いました。
あの辺も地味に変化しているので、変わっているかも知れませんね。
たびたび失礼いたします。
相変わらず素早い行動ですねぇ。感服いたします。
電柱の件ですが、私も懐かしさ半分で調べてみましたらまさに灯台下暗し。
平塚市役所のHPに書いてありました。
http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/zukan/sen11-1.htm
私が見に行ったころは、もう少しコールタールでテカテカしていました。
砂浜の遺構もたけこし氏の幻視だったら笑えるのですが、ネットで調べてみると本当にあるみたいです。引き潮だとこんな感じのようです。
http://livedoor.blogimg.jp/turi_tai/imgs/a/4/a46c8cb7.jpg
私は戦時中の高射砲の台座だと思いましたので、これまた調べてみると
http://blogs.yahoo.co.jp/kakuchan1964/22082446.html
http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/4a/47/kakuchan1964/folder/601127/img_601127_22082446_2?1327216156
になんとなく似ているような気がします。ただ
http://www.netlaputa.ne.jp/~nemon/senzyouziki.html
の中には記載されていないのでここからは想像ですが、20年7月の平塚空襲のときにまったく役にたたなかった他の高射砲に代わり、粗悪な海砂利入りのコンクリで急遽
製作が決定、台座までは完成したもののそのまま終戦となりすっかり放置された、
なんて妄想が思い浮かぶのですが、どうでしょうか?
それでは。
電柱の件、実物はなくなってしまったものの、情報としては残されていた訳ですね。
よかったです。
しかし、この姿のままずっと活躍していた(残されていた)というのも凄いですね。
砂浜の遺構の件、お調べありがとうございます。
高射砲の遺産というのが、やはり可能性としては高いでしょうか。
南から迫る飛行機を狙うため、市内南端に設置しようとしたということですね。
一つ気になるのは、砂浜に設置という点です。
標高は低く、足場を安定させるのはやや面倒な位置ではないかと思います。
本土決戦に備えて、飛行機ならぬ船に備える設備を作ろうとしたのかとも考えたりしましたが、本当に何でしょうね。