「湘南ひらつか囲碁まつり」の始まり

1996年(平成8年)、平塚市博物館で、囲碁界の大御所・木谷實九段を顕彰する特別展が開かれる。

 

木谷九段は神戸出身で、1937年(昭和12年)から平塚市内の桃浜町に居住した。

若い頃から天才棋士と言われ、木谷流という新定石を編み出した。

 

晩年は弟子の養成にあたり、碁が強いという少年を全国から集め、自宅に同居させて指導した。

木谷道場からは、大竹英雄九段を筆頭に、名人や棋聖、本因坊、十段などのタイトルを獲得する棋士が数多く輩出された。

 

門下生の段位は200段を超え、13タイトルの内の9つを占め、挑戦手合いと決勝戦進出は17を数え、囲碁の世界を席巻した。

道場で育った棋士は、孫弟子を含めると70人、総段数は400段を超えるとも言われた。

 

特別展が開かれたきっかけは、博物館の学芸員の一人が、木谷晴美夫人の著作「木谷道場と70人の子供たち」を読んだことであった。

そこで、市内に住んでいた木谷九段の業績を知ってもらうことを目的に開催され、木谷門下生らによる座談会や有名棋士の公開対局、200人多面打ちなども催された。

 

多面打ちは、11月3日に紅谷パールロードで行われた。

日本棋院から運ばれた碁盤200面が2列に並べられ、抽選で選ばれた200人を相手に木谷門下のプロ棋士30人が相手をした。

 

この企画は、囲碁ファンの人気を呼んだ。

そこで、このイベントを一過性のものとせず、木谷九段の業績を称える行事にしようという声が上がった。

 

その結果、1997年(平成9年)には、「湘南ひらつか囲碁まつり」として開催された。

1997年は碁盤が250面、1998年には312面に増加し、1999年には500面打ちとなった。

 

これを機に、市内のホテルでは、女流プロ棋士のタイトル戦が開かれるようになった。

平塚市は「囲碁のまち」として、発信するようになった。

 

2008年(平成20年)10月11日には、全国で初めての「囲碁サミット 2008」が、平塚市で開催された。

全国から、秋田県大仙、長野県大町、埼玉県北本、山梨県北杜、京都府綾部、広島県尾道、宮崎県日向の7市・市長が参加した。

平塚市でサミットが開かれた理由は、木谷九段の生誕100年を記念してのことであった。

 

木谷道場は、1962年(昭和37年)に東京の四谷三栄町に移るまで、平塚に存在した。

木谷九段は、1975年(昭和50年)12月19日に家族や弟子達に看取られて、平塚の自宅で息を引き取った。

 

出典:「平塚市史 10」他

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