享徳の乱

享徳4年(1455年)正月から始まる、第5代鎌倉公方・足利成氏と関東管領・上杉氏との戦い。

 

前年12月、成氏による山内上杉憲忠の謀殺が鎌倉において起こり、その遺臣と扇谷上杉持朝との連合軍1千人余りが6日に相模国島河原に出陣する。

一方、成氏は、鎌倉から島河原に武田・一色氏300騎を向かわせ、合戦となる。

 

この合戦では、足利軍が優勢であった。

以後、武蔵の方面に戦場を移し、およそ30年に渡って合戦が続いた。

 

舞台となった島河原ですが、現在の大島、下島、小鍋島の一帯ということです。

扇谷上杉氏は相模守護で、糟屋が本拠地であったと推測されるため、この地が戦場となったようです。

 

出典:「平塚市史 9」他

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