1960年代には、周辺都市の商業力が高まり、平塚の商圏は狭くなりつつありました。
そこで、街の玄関口である平塚駅に商業施設を設け、地元商業の発展を図ろうという動きが起こりました。
1969年には、「民衆駅」として後の「平塚ラスカ」の申請書が、地元発起人により提出されました。
(タウンニュースの記事)
1973年(昭和48年)、「平塚ラスカ」がオープンしました。
国鉄出資の駅ビルでは、第1号のプロジェクトということです。
しかし、明るい話題ばかりではありませんでした。
駅ビル建設問題から発生した様々な経緯は、七夕まつりの開催までに波及し、まつりの開催中止が決定されました。
当時の新聞記事によると、平塚市と商店街連合会の対立だったようです。
結局、主催を平塚市から平塚商工会議所が肩代わりすることで開催されましたが、開催規模は1/4となりました。
露天商も、敬遠して姿を見せなかったそうです。