湘南市構想は、なぜ白紙になったか

話題性の高かった「湘南市構想」ですが、1年強という短い期間で構想は白紙となりました。

なぜ失敗したか、幾つかの原因が考えられます。

 

1.トップダウン、イメージ先行であった

構想が発表された当初から「湘南市」「政令指定都市」といった言葉が出されており、イメージだけが先走っていました。

活動は、自治体の首長達によってトップダウンで進められており、住民は置き去りでした。

途中で、構想は「検討資料」であると発表されましたが、最初から最後まで住民不在で進んだ活動となっていました。

 

2.拙速であった

1にも関係しますが、関係地域の気運が高まらないまま、構想だけ進められていました。

これは2005年に終了となる合併特例法を強く意識してのことだったと思われますが、準備が不足していた感は否めません。

 

3.自治体間で足並みの乱れがあった

湘南市研究会に参加した自治体の間にも、構想に対する温度差や足並みの乱れがありました。

特に顕著だったのが茅ヶ崎市で、研究会に発足時の市長が参加することはありませんでした。

研究会の構成メンバーとしても、「準委員」となっていました。

 

これらのような要因により、構想は白紙に戻ったものと思われます。

なるべくしてなった結果と言えるでしょうか。

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