中先代の乱

建武2年(1335年)7月、北条高時の遺児・時行は、信濃国・諏訪で北条氏再興の兵を挙げる。

そして、鎌倉にいた足利直義を破り、鎌倉に入る。

 

足利尊氏は京都を発ち、直義と合流して東海道を下る。

そして、8月18日、相模川で両軍は対峙する。

 

秋の急雨で川の水が溢れた中、夜に入って足利軍は3箇所から川を渡り、北条軍を襲う。

そして、翌19日に、辻堂・片瀬原での合戦に勝利し、足利軍は鎌倉を奪回する。

 

足利軍は、平塚側から渡ったことになります。

足利軍の急襲により、相模川では大きな戦いにはならなかったようです。

 

出典:「平塚市史 9」他

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