1981年(昭和56年)10月31日の夜・21時過ぎ、平塚市内全域に設置されている45箇所の広報スピーカーから突然サイレンが鳴り出し、市長の声で放送が流れた。
「私は市長の石川です。
先ほど内閣総理大臣から大規模地震の警戒宣言が発令されました。
火を消して身の回りの準備をして下さい・・・」
その後、広報無線の動作ミスによる誤報と判明し、30分後には謝罪放送が繰り返し流された。
しかし、市民は一時仰天し、一部の市民が慌てて戸外へ飛び出すなど、混乱に陥った。
市役所や平塚警察署には問い合わせの電話が殺到し、パンク状態になるなど、パニック寸前であった。
石川市長は、市民からの問い合わせで事件を知り、市役所に直行して対応に当たった。
翌朝の新聞各紙は、「人騒がせ、地震警戒宣言」の大見出しで、一面のトップで報じた。
このため、平塚市の名は、全国に轟いた。
この件は、警戒宣言の発令に伴う社会的反応を調べる貴重なデータとなった。
事件後、東大や東海大学などの多くの大学や学者らが住民にアンケートや面接を行い、調査に役立てた。
出典:「平塚市史 10」他