「ベルマーレ平塚」のJリーグ参加

1994年、平塚市をホームタウンとする「ベルマーレ平塚」が、Jリーグに参加する。

 

ベルマーレ平塚は、同年のサントリーシリーズでは7勝15敗の11位、ニコスシリーズでは16勝6敗の2位の成績を収める。

第74回の天皇杯では、優勝する。

個性派集団は、「湘南の暴れん坊」と呼ばれた。

 

1968年に「藤和不動産サッカー部」として創部したチームは、1972年に日本サッカーリーグ1部入りを果たしていた。

1975年には「フジタ工業サッカー部」に改称し、練習グラウンドを平塚市大神に移転した。

 

1993年に開幕したJリーグへの昇格は、同年11月16日に決定した。

11月23日には、中心街を歩行者天国にして、監督や選手、コーチ等がオープンカーを連ね、祝賀パレードを実施した。

 

1996年には、入場者数(累計?)が100万人を超えた。

1998年にフランスで行われたFIFAワールドカップでは、小島伸幸、中田英寿、呂比須ワグナーの3人が日本代表に、洪明甫が韓国代表に選出された。

 

その後、親会社撤退の危機を乗り越え、「湘南ベルマーレ」として生まれ変わった。

現在は、平塚市を含む7市3町をホームタウンとして、Jリーグで戦い続けている。

 

出典:「平塚市史 10」他

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