明応4年(1495年)9月、伊豆を支配していた北条早雲は小田原城を攻め、大森藤頼を追ってこれを奪う。
永正元年(1504年)12月26日、山内顕定・長尾能景の連合軍は、扇谷朝良の武将・上田氏が守る真田要害を攻め、激しい攻防の末に陥れる。
真田要害はこの後に廃され、天正・文禄(1573~1595年)の頃には天徳寺の寺域となる。
永正9年(1512年)8月、北条早雲は、三浦義同、佐保田豊後守、大森越後守、武左京亮らが守護していた岡崎城を攻撃する。
12日早朝には、岡崎台で激しい合戦がある。
12日夜半から13日未明、義同らは岡崎城を棄てて、鎌倉に逃れる。
早雲は、義同らを追撃する。
岡崎城の攻略後、平塚市域は早雲の勢力下に入ったということです。
永正13年(1516年)7月には三浦氏を滅ぼし、相模の国を征服したそうです。
出典:「平塚市史 9」他