中心市街地にある、そば・和食の店です。
創業後、90年近くになるようです。
紅谷町にある現在の店は、昭和46年に作られたそうです。
意識したことはなかったですが、お店のフロアは3階まであります。
1階には、テーブル席が6つほどあります。
2階は個室もある座敷、3階は宴会場ということです。
「川万」もそうですが、いわゆる「老舗」と呼ばれるような店は、宴会場が設けられていること多いようです。
時代を感じます。
テーブルに着くと、新聞を用意してくれます。
この辺も、昔ながらといった感じです。
そばや定食、丼物、鍋など、メニューは色々とある印象です。
お客さんの求めに応えていたら次第に増えていったのではないかと勝手に想像しました。
注文したのは、「もりそば」(500円)の大盛り(+100円)です。
ランチなども興味がありましたが、基本?に従いました。
見た目にもボリュームはありました。
そばは、しっかりとしていた印象です。
店内には、昔の平塚の地図などが飾られていました。
昔懐かしい時代を思い起こさせてくれるようなお店です。
【あさひ屋】
平塚市紅谷町10-6
湘南ひらつかショップインフォメーション:http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/syougyou/shop-187.htm
夜分失礼いたします。
たけこし氏がパンの次は蕎麦にハマってる(笑)
私は錦町の角にある寿司屋の隣の「朝日屋そば」は何度か食べたことがあります。
まぁ絵に描いたような普通の蕎麦屋、という印象でしょうか。入り口にカブが斜めにとまっている感じというか。
たしか「朝日屋」も「うぐいす」と同様、以前は旅館兼食堂という形態で現在のMNビルのあたりにありました。いわゆる「駅前旅館」という面持ちでしょうかね。
戦前の平塚は江戸時代から続く宿場町、地域商業の中心地、大山詣の出発点、火薬敞をはじめとする軍需工場の存在など、ビジネスや観光などでの宿泊需要がかなり多かったのでしょうね。そしてそうなれば当然のように女性絡みの商売も盛んになります。昭和初期の商工地図を見ると、現在の明石町界隈は「カフェー」だらけです。
さらに女がいればヤクザが登場します。ここに現在の平塚の基礎的な部分が完成したように思えます。
都市の繁栄とそれに伴う闇の部分。それをどのように変化させていくのか、というのもなかなか興味深いことではあります。
それでは。
コメントありがとうございます。
蕎麦の件は、ずばり言ってしまえばそうです。
でも、昔からはまっているので、大丈夫です。(笑)
朝日屋さんは、行かれたことがありますか。
場所は分かりますが、自分はまだ行ったことがありません。
どうも、入りづらい外観です。。。
平塚の歴史は、指摘されたようなのだと思います。
長崎屋や十字屋など、今でこそ「平塚発祥」と聞くと信じがたいところもありますが、当時は本当に輝いていたのでしょう。
そして、光が強かった分、闇も濃くなったと。
今は、光は弱くなったもののあまりよくない部分は残ったりと、困った感じです。